スカサハの野球についての独り言

◆私がプロ野球に興味を持ったのは・・・
私が本格的にプロ野球に興味を持ったのは1992年の夏頃。私が良く読んでいたマンガ「かっとばせキヨハラくん」を読んでいた影響もあったせいか、その時から中継を見たり、必ず新聞のスポーツ欄の野球の結果を見るようになったり、選手名鑑を買うようになっていきました。
以前は小学校の時にもプロ野球に興味があったような記憶があるのですが、それほどのめり込みませんでしたね。今は亡き祖母が巨人の中継を見ていて、桑田投手を応援したりしていた所や、伯父がライオンズファンでライオンズ戦の中継を見ていたという記憶があります。それに、いとこの1人が桑田のファンで、自分で編んだセーターを送ったと言う話や、別のいとこは(当時)ライオンズの秋山選手のファンだという話を聞いたりなど あったりしてからこそ、今の野球好きの私があるのだなぁと思います。
そして忘れもしないのが、今でも文通してでもつき合いのあるNちゃんと会ったこと。中学二年に、久々にNちゃんと会話して、小学校からプロ野球に興味のあった彼女と野球の話に発展していってますます、私のプロ野球に対する熱が上がっていった。でも、その後にNちゃんは別の中学に転校していってけど、その時から文通を始めてから、Nちゃんとの親密度が上がっていったような気がします。そして、今でも、野球の話題を中心にやり取りしています。まさに、野球のおかげで友達がいるのだなぁ・・・と言えます。<2000.4.27>

◆私が最初にファンになった選手は・・・
個人的にファンになったのは、当時ライオンズ在籍していた清原和博選手でした。しかし、ファンになった当初、同学年の男子に清原のファンと言うだけでからかわれた、いや、いじめられてましたね。清原選手のことを罵ったり、その言葉を私の前の黒板に書かれたりなど・・・ 高校に進むとますますファンとしての熱は上がっていきましたね。清原選手のグッズを買ったりなど・・ でも、FAで出ていった後はもう受験中だったせいもあったせいか、もう手のひらを返すように清原選手に対する態度は変わりましたね・・・ しかし、言えることは清原選手は私の中学・高校時代の青春だったと言うことですね。
そして、今年(2000年)の結婚の話題はとうとうこの日が来たかと思って、私が清原選手に熱狂していた中学・高校時代を懐かしみましたね。<2000.4.27>

◆今野球のことで後悔していること・・・・
実は結構(?)あるかもしれません。まずは、まだ野球に興味のなかったころに、父がトヨタから貰った選手名鑑を捨ててしまったことですことかね。それは87年のもので、87年というのに意味があったのです。それは、今、一番好きな選手である中嶋聡選手がルーキーとして掲載していたからということです。デビューした頃に、どんなセールスポイントや、どんな風に将来への期待のコメントが書かれていたかなぁ・・と、この「Nakajima's etc.」へのネタになる資料を捨ててしまったことに今でも後悔しています。で、私が持っている一番古い選手名鑑は、同じく父がトヨタから貰った89年の選手名鑑で、その中には阪急からオリックスに変わってまだ20歳の若き日の中嶋選手が載っています。<2000.5.2>


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